マーフジ納経帖 巻之壱

番外 その壱
『学文路・苅萱堂』(和歌山)

 夏休みで京都に帰ったときに、ホンマもんの人魚のミイラを見に、高野山の麓まで足を延ばした。南海高野線・学文路(かむろ)駅で下車すると、「謎とロマンの人魚のミイラ」というお化け屋敷チックな看板がいきなり駅前で出迎えてくれる。駅裏の坂道を上がりきると、最近建てなおされた苅萱堂が姿を見せた。本堂には鍵がかかっており、頼むと中の人魚のミイラも見せてもらえる。
 本堂内で売っている『人魚考』には、「山女か岩魚が突然変異を起こし、棲息していた者が捕らえられたと言えないこともありません」などと書いてあるが、そんな突然変異はやっぱり無い(あったらとても怖い)と思う。ただ、じっくりと現物を前にして見ると、作り物にしろ、上半身は顔の感じや指先の感じが、どう見ても猿というより人間に思えてくる。一歳くらいの赤ん坊だったろうかなどと考えると、かえってその方が怖い。
 ただ、おみやげに人魚のミイラのペンダントなども売っていたりする。祈・無病息災。
零134('98.9)


第壱番
『赤亀山・延光寺』(高知・宿毛市
 秋は四国八十八ヵ所御遍路シーズン。昔ながらに歩いて回る人から、観光気分で車で回る人、果てはヘリコプターで上空から巡礼する手まであるそうだ。徳島の霊山寺に始まり、四国を一回りして、香川の大窪寺に終わる。
 さて、四国の地図を広げると、香川県からほぼ四国の対角に宿毛市が位置する。ここに四国第三十七番札所・延光寺がある。高速道を使っても片道四時間はかかる。遠い。今回このほか、足摺岬金剛福寺など四ヵ所を訪れ、これで土佐の国は廻り終えた。
 延光寺略縁記によれば、「延喜十一(911)年、赤亀が竜宮より銅鐘を背負い、当寺に納める。この由来により、『亀鶴山宝光寺』を『赤亀山延光寺』と改める」とある。どうやら、竜宮は高知沖にあるらしい。しかし、足摺岬には浦島太郎ではなく、ジョン万次郎の銅像が立っていた。また、海底の神秘を探るため、足摺海底館から水深7mの太平洋を眺めたが、竜宮は見えず、ただハリセンボンが泳いでいるだけだった。
零135('98.12)


第弐番
『五岳山・善通寺』(香川・善通寺

 四国八十八ヵ所、第七十五番札所。高野山、京都の東寺とならんで、弘法大師三大霊跡の一つであり、大師誕生の地でもある。
 秋の澄んだ空に、東院の五重塔が映える。
 初代は弘仁四年 (813)に建立されたが、延久四年(1072)に大風のため、塔が倒壊して伽藍は荒廃。以後二回建てられているが、それぞれ兵火、雷火でなくなったそうな。現在の塔は、明治三十五年(1902)に完成した四代目である。そのほか、弘法大師が誕生の時には生えていたという大楠がある。また、弘法大師の産湯に使った井戸も残っている。いろいろ残っているものだ。
 ここ善通寺には、御影堂の地下に戒壇巡りがある。奥まで行き着くと、弘法大師が、ハイテク技術で再現された生の声で、「ようこそ、お詣り下さいました」などと出迎えて下さる。
 なんとも、いやはや……
零139('99.12)


第参番
『稲荷山・龍光寺』(愛媛県・宇和)
 札所を巡ることを「打つ」と言い、1番から順に打つことを順打ち、逆に八十八番から打つことを逆打ちという。坂東眞砂子の『死国』の物語の中では、死んだ者の歳の数だけ逆打ちすれば、死者は蘇るという……
 四国第四十一番札所・龍光寺は、愛媛県北宇和郡に位置する。ちょうど、温州みかんの収穫の真っ盛りであった。実は、これが最後の寺、つまり八十八ヵ所を打ち終えたことになる。なぜ四十一番などという中途半端なところかというと、手近なところから行き当たりばったりに廻り、足摺や宇和島など、香川から遠いところばかりが残っていたのだ。死者は、いったいどうなるのだろう。
 さて、前回延光寺は「竜宮の鐘」であったが、ここ龍光寺には、なんと「龍の目玉」が納められているという。お寺には、いろんなものが祀られているのだと感心する。さらには、龍光寺からつづく階段の先には鳥居があり、お稲荷さんまで祀ってあるのだった。
零136('99.3)


第四番
高野山奥の院』(和歌山)
 ふたたび和歌山へと戻る。四国巡礼では、めでたく満願すると、最後に弘法大師のもと高野山を訪れることになっている。
 生まれてこのかた、初めて高野山に登った。登ったと言っても、南海電車高野線で難波から特急に乗ること1時間半。高野下の駅を過ぎる辺りから勾配が増し、登山鉄道の雰囲気である。終着駅の極楽橋から、これまた急なケーブルカーで高野山駅へ。さらにバスに揺られて奥の院へと向かった。あるある寺だらけだ。こんなところに坊主がいっぱい住んでいるのか。スケート場まであるぞ。
 杉の大木の参道の向こうには、様々な墓や石塔が建ち並んでいた。福助、ヤクルト、日産、麒麟などの企業の石塔から、シロアリ駆除の慰霊碑、徳川家うんぬん、赤穂浪士関係から、落書きOKのあちゃこの墓まで。
 夏の暑い日に、避暑を兼ねてゆっくりと墓巡りをすると、退屈もせず心洗われることであろう。一度、試されることをお勧めする。
零137('99.5)


第伍番
『信州・善光寺』(長野市

  春風や 牛に引かれて 善光寺    一茶
東京から長野まで新幹線なら100分、近くなったものである。
 駅からゆっくり歩いても30分ぐらい。仁王門、山門をくぐり抜けると、大きな本堂が姿を現す。正面から入ると、びんずる尊者があり、納経所の横には閻魔大王もいる。五百円の参拝券を買うと、さらに奥の内陣まで入ることができる。両脇には弥勒菩薩地蔵菩薩があり、来迎二十五菩薩がおられ、御本尊は一光三尊阿弥陀如来である。
 さらに奥へと進むと、御本尊の下に入る「お戒壇巡り」ができる。この本尊下の暗闇の回廊で鍵に触れると、現世の幸せと来世極楽浄土が約束されるという。これで五百円なら安い。ちゃんと触ってきたぞ!
零138('99.9)


第六番
東大寺・大佛殿』(奈良)
 暮れに奈良まで行ったついでに、三十余年ぶりに大仏様を拝みに行った。平城京朱雀門も再建されていて、近鉄の車窓からよく見える。前回来たのは五、六歳の頃だったはずなので、どこまで本当に憶えているのかわからない。奈良の大仏様の姿は、テレビでも、本でも見られるので、あとから出来あがった”いつわり”の記憶がかなりあると思う。
実際行ってみると、「あぁこれは」と思う物があった。それは、鹿でも大仏様でも柱の穴でもなく、大仏殿の外にあるおびんずる様である。少々気色悪い姿は、子供心に恐かったのだろう。これは、テレビにも映らないだろうから、三十年以上前の真の記憶のはずだ。
あと、その頃と違うことといえば、世界文化遺産になっていることと、東大寺のホームページがあることぐらいだろうか。帰りに、駅前のミスタードーナツで一休みしてから帰路についた。これも無かったはずだ。
零140('00.5)


第七番
金閣鹿苑寺』(京都・北山)
 前回の東大寺に引き続き、今度は二十年ぶりぐらいに金閣寺を訪ねた。新年の食べ過ぎ解消のため、散歩がてらに白梅町から歩いて出かけた。正月早々、観光バスがバンバン乗りつけて、参拝客が駐車場からあふれてくる。総門の手前にはテントが建っていたが、修学旅行のチェックポイントとして、学校の先生が使うものらしい。さすがに、正月に修学旅行は無いと見えて、使われていなかったが、先生も大変である。
 また、ここもいつの間にか世界文化遺産になっていた。何年か前に金箔の張り替えなどをしているので、金ぴかぴかである。それを見て、その昔、金閣寺のプラモデルを作ったこともあったな、などと思い出した。
 出口のみやげ物屋で、白小豆の餡をロール状に巻いた白雲竜が食べたくなって買ってしまった。あまり、食べ過ぎ解消にならないかも知れない。
零140('00.5)


第八番
『西山・善峯寺』(京都・大原野
 西国三十三ヵ所第二十番札所・善峯寺。四国八十八ヵ所は終わったので、たらたら西国も回ってみようかと訪ねてみた。以前、十一番から十九番までを回って、そのままほったらかしにしてあった納経帖が出てきたので、再開である。
 立派な駐車場があり、駐車料金を払って山門を入ると入山料をとられた。ここには、天然記念物で樹齢六百年の「遊龍」の五葉松があり、全長が54mもあったらしいが、松食虫にはかなわず、樹医による外科手術が行われ、15m程短くなっていた。
 また、肌身離さずつけ、痛いところを拝んでなでると霊験あらたかな神経痛・腰痛にならないお守りを授けてくださる。お守りは一年経ったら感謝の気持ちを込めて寺に納めよとのこと。また、代わりを郵送でも購入できるとのことで、FAX番号まで書いてあった。商売上手である。
零141('00.7)


第九番
『両界山・横蔵寺』(岐阜・揖斐郡

 先日、岐阜に出かけた折り、清原なつのさんに「岐阜には秘境のミイラ寺がありますよ」と連れて行っていただいた。
 岐阜市内から車を走らせること、約1時間。美濃の正倉院と呼ばれる横蔵寺がある。最近は道路も良くなっており、あまり秘境という感じではない。舎利堂も立て替えたばかりである。
 国指定重要文化財の仏像も多数ある由緒あるお寺なのだが、境内ではあちこちで「ミイラ」「ミイラ」と即身仏の方へと急ぐ人たちがつぶやく声が聞こえる。どうやら重要文化財よりも、ミイラ人気の方がよほど高いと見える。
 ホンモノの即身仏であられる妙身法師が、富士の鬼門を守りつつ、いまなお稼いでおられるようだ。
 帰りがけに、また1台観光バスがやってきた。
零143('00.12)


第拾番
谷汲山・華厳寺』(岐阜・揖斐郡
 ここも清原なつのさんに連れてきていただいたのだが、谷汲まで岐阜市内から名鉄のローカル線に乗って来られなくもない。1時間に1本のレールバスである。その終点にあるのが、西国三十三ヵ所第三十三番満願霊場華厳寺である。
 さて、門前には、菊花石や表装屋のほか、みやげ物屋が建ち並び、けっこうな賑わいである。西国三十三カ所納経帖の華厳寺のところには、ページが余っている(?)せいか、御詠歌が3つも載っている。そのため、他の寺では朱印は1つであるが、華厳寺では3つも朱印を押して、三倍の値段をとられてしまった。セット販売である。
 近くにある美濃地震断層を見せる博物館には、なんと心霊写真がある。これも必見!
零144('01.3)


番外 その弐
ノートルダム・デュ・ポール寺院』(仏蘭西
 仏蘭西はクレルモン・フェランに、二つのノートルダム寺院がある。ひときわ高く聳えるゴシック様式ラソンプシオン寺院と、それとは対照的にビル陰にひっそりと建つロマネスク様式のデュ・ポール寺院である。
 デュ・ポール寺院は巡礼の地であり、扉を開けると、中は淡い光の空間がしんと固まっている。人がいないのではない。カメラのシャッターの音も憚られるような、厳かな雰囲気なのだ。ステンドグラスが美しい。
 よく見ると、祭壇を築いている石の一つ一つに名前が刻まれている。日本でも寺の屋根の普請に、瓦に名前を書いて寄付を募る。同じである。そして、祭壇の両脇には、胎内巡りにも似た入口があった。もっとも、中は真っ暗ではなく、奥に進むとマリア様の像があり、長い蝋燭をお供えするようになっている。
 巡礼の老夫婦が、蝋燭を供えたあと、静かに椅子に座ってマリア様に祈っていた。宗教は変わっても、共通する点は多い。
零140('00.5)


番外 その参
牛久大仏』(茨城・牛久市

 TV番組『あっぱれ!日本一』で、でっかい大仏さまに手編みのマフラーをかけるという莫迦な企画を見たのは去年のことだったが、その近くに引っ越して来るとは思わなかった。せっかくなので、見に行ってみることにした。
 何でも、120mの世界一の高さだとかでギネスブックに載っているそうである。確かに、載っているだけあって、車で近づいていくと、あーあれかという位にはでかい。もっとすぐそばまで寄って、上を見上げると何だか大仏の首でも落ちてくるんじゃないかと高層ビルを見上げたときのようにくらくらする。よく、こんなものにマフラーをかけたものだ。
もうマフラーはなかったが、やっぱりマフラーをかけた大仏さまのキーホルダーを売っているのであった。
零145('01.8)

巻之弐へつづく



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