マーフジ納経帖 巻之弐

第拾壱番
『明星山・三室戸寺』(京都・宇治)
 夏に帰省した折、実家近くの西国三十三ヵ所第十番札所・三室戸寺を訪ねた。平等院への案内板を横目に宇治橋を渡る。八月の京都は暑いとはいえ、寺ではツクツクボウシの声も聞いた故、夏も盛りを過ぎた頃か。
 約千二百年前、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観音菩薩を御本尊として創建されたとある。本堂の前には鉢がずらりと並べられ、蓮の花が咲く。
 納経帖といっしょに、蓮花に見たてた小さな紙に「大」と書いたものももらった。第十番明星山・三室戸寺とあり、納経所にはそれを三十三枚揃えて額装したものが飾ってあった。要するに、各寺でこれをくれるので集めよということであろう。いままで、こんなものはなかったのに……四国八十八カ所の御絵を真似てか、はたまた額装屋の陰謀か……謎は深まるばかりである。(後日、正体が判明。JR西日本のキャンペーン物であった)
零146('01.12)


第拾弐番
『東光山・龍蓋寺』(奈良・明日香村)
 暮れも押し迫った二〇〇一年の大晦日。西国三十三ヵ所もまだ二十カ所近く残っているが、京都から近場で明日香村の第七番札所・東光山・龍蓋寺いわゆる岡寺を訪ねた。
 草壁皇子の住んでいた岡の宮であったという岡寺は、日本最初の厄除け霊場でもあり、来年は厄年だしということで厄除け守りを買って帰った。「肌身守り」と紙札のセットになっており、紙札の方は寝る部屋の天井の桟にさしてまつれとあるが、天井に桟が無い場合は天井にこだわらず壁や柱にセロテープで貼っても良いと説明書きがあった。丁寧なことである。
 中学生の頃に、授業で明日香巡りをしていて以来である。あの頃は、マンガ少年に『火の鳥』の連載があって、ヤマト編も読んで、これが石舞台古墳かと感心したものだけれど、久々に来ると、えらく明日香村も整備されていて年月を感じてしまった。うーむ。
零147('02.3)


第拾参番
竹生島・宝巌寺』(滋賀・琵琶湖)

 琵琶湖に浮かぶ竹生島は、周囲2km、全島花崗岩でできた島で、西国三十三ヵ所三十番札所である。新幹線の米原で降りて、彦根港へと向かう。ひなびた竹生島巡りの待合室から、高速船で三十五分。冬場は一日に何便もない。港に着き、心臓破りの百数十段の石段を登りつめると、納経所のある弁天堂へとたどり着く。本尊の弁財天は、安岐の厳島、相模の江ノ島とともに、日本三大弁財天の一つとか。約一時間の滞在時間の間に、お参りをすませて帰途につく。
 船の中では、ポラロイドの記念写真を撮って売りつけたりとか、商売の魔の手が忍び寄ってくる。
零147('02.3)


第拾四番
筑波山・大御堂』(茨城・つくば)、『南明山・清滝寺』(茨城・新治村
 筑波山の梅祭りを朝から見に行くことにした。ガマの油売りもいるという。駐車場には群馬ナンバーの車もあり、他県からも見に来るほどと期待したのだが、斜面の梅園は残念ながら九州のお座敷梅(梅の盆栽を多量に室内に公開)に負けているという結論になった。
 さて、そのすぐ近くにある筑波山神社と、筑波山・大御堂もお参りした。大御堂の方は、坂東三十三カ所の第二十五番札所である。その場で発願、納経帳を買って一都七県にまたがる関東での巡礼をスタートした。鎌倉をはじめとして、伊香保温泉、日光、犬吠埼まで札所は続く。数から行くと四国の八分の三だが、どれぐらいの時間で回れるだろうか。とりあえず、帰り道にもう一ヵ所、新治村の第二十六番札所・清滝観音にも立ち寄った。納経所にはテレビに炬燵、炊事場もあって、生活臭のある寺であった。また、ここの境内の白猫は、触られるままにおとなしい。
零147('02.3)


第拾伍番
『金龍山・浅草寺』(東京・浅草)
 言わずと知れた雷門の浅草観音、ここも坂東三十三カ所の第十三番札所である。
 坂東きっての古刹ということで、六二八年に隅田川聖観音像が網にかかったのを祀ったのだという。誰がそんなもんを川に捨てたんじゃと思ってしまう。雷門のところは、平日でも外人さんも含めて観光客で大にぎわい、土産物屋では人形焼と雷おこしと草加せんべいを売っている。
 ここで御朱印をいただくと、お経も写経せず、なかにはお堂にもお参りせずにご朱印だけを集めて歩くのは全く残念なことで、せめて「般若心経」一巻ぐらいは写経するか読誦してからご朱印をもらうようにとの紙もいっしょに渡される。もっともな話であるので、「般若心経」ぐらいは覚えるかと思う。うちにあるマニ車を使うのもいいかも知れない。あるいは、お経をバサバサっとやって読んだことにするというのもまたよし。そういうマニ車思考は身体にいい。
零148('02.7)


第拾六番
八溝山・日輪寺』(茨城・大子町
 「八溝知らずの贋坂東」と言われるほどの坂東札所切っての難所・二十一番札所である。
「やみぞ」の名前の由来に、日本武尊が東征の際、この地に至って「この先は闇ぞ」と言ったからだというので、一体どんなところかと恐れていたが、車が離合可能な道で寺の前まで行けるのであった。
 四国の六十番札所石鎚山横峰寺は、車でぎりぎりまで乗り付けた上に、徒歩1時間だった、これに比べると楽なものである。
 八溝山頂まで登ると、山頂より高い有料の展望台が建っており、先に広がるみちのくの”闇”を見ることができる。というか、山頂からは展望台しか見えない……
 弘法大師も、遠路はるばるここまで来られたらしく、近くには名水百選の八溝川湧水群がある。リンゴ狩りをして帰るのにちょうどいい。
零149('02.11)


第拾七番
『大非山・笠森寺』(千葉・長生郡)

  幕張メッセで開催された「電撃祭」に行く娘を車で送ったついでに、千葉方面を寺回りする。「電撃祭」は大盛況だったようだ。
 さて、幕張から房総半島へと向けてしばらく走り、坂東第三十一番札所「大非山・笠森寺」へと到着。
 国の天然記念物である静かな笠森寺自然林の中に建つ。延暦三年(784年)に最澄が楠木の霊木で十一面観音像を刻んで安置したのがはじまりという。
 本堂「大非閣」は重要文化財で、四方懸造りという珍しい造りの岩山の上に造られた高さ30mもあるお堂である。
長く伸びる階段を上って行くと、途中床板がぎしぎしと鳴る。しかも上の回廊の床板には少し隙間が空いていて、下が見えてしまう。高所恐怖症の身には、何とも股のこそばゆい寺であった。
零150('03.2)


番外 その四
『佐野厄除大師』(栃木・佐野市
 厄年真っ最中、佐野厄除大師をお参りした。厄よけ元三慈恵大師を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続けており、年毎に信者が激増し、正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰いでいる関東でも有数の厄除け寺である。魔除けのつの大師が有名で、御札の裏には両面テープが取り付けてあり、はがすだけで手軽に壁面に取り付けられるようになっている。ほかにも、トイレの神様こと烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)の御札から、安産の御札まであり、インターネットでは「厄払いの総合病院 - 佐野厄除け大師」と宣伝をしているだけのことはある。
 さて、おみくじでも引いてみるかとやったところ、これが「凶」と出た。となりの人も、なんだか「凶」を出しているようだ。太宰府天満宮のおみくじには凶がないと聞いたことがあるが、逆にここは厄払いを勧めるために、凶が多めに入っているのではないかと勘ぐってしまうのは罰当たりだろうか。
零151('03.5)


第拾八番
『天開山・大谷寺』(栃木・宇都宮)

 とちぎSFファン合宿at塩原温泉に行く途中に立ち寄ったのが、坂東十九番札所・大谷観音である。柔らかい大谷石に、弘法大師が刻んだという日本最古の石仏がある。その昔、この大谷の地には毒蛇が住み、毒水が流れていた。それを東国巡錫中の弘法大師が、降伏の秘法によって毒蛇を退治し、千手観音などを彫ったという。現在は、巨大な大谷石の洞穴に刻まれた石仏を覆うようにして、本堂が建っている。
 本堂に入ると、壁に彫られた大きな御本尊の千手観音が見える。ほぅと思って、写真を撮ろうと思ったら、撮影禁止の張り紙がある。まぁ誰も見ていないしと、カメラを取り出すと、スピーカーから「カメラはご遠慮下さい」との声が……よく見ると、本堂のあちこちに監視カメラが備え付けられている。案外ハイテクな大谷寺であった。
零152('03.9)


第拾九番
『大蔵山・杉本寺』(神奈川・鎌倉)
 一度ぐらいは歩き遍路もやってみるか、とホリデー切符を手に一路鎌倉へ。鎌倉近辺にある坂東札所の一番から四番までの寺を歩いてみることにした。迷わぬように地図を下見して降りたったひさびさの鎌倉である。
 駅を出て、まずは鶴ヶ岡八幡宮方面へと向かう。さらに、八幡宮の右手方向へと進み、一路、坂東三十三ヵ所の第一番札所、杉本寺を目指す。その後、ガイドブックにあった穴子丼屋で昼食を食べ、道なき小高い丘を越えて住宅地へと進んだり、幽霊が出るので有名な××トンネルを抜けたりしつつ、四番札所の長谷寺までを歩いた。約五時間、二万六千歩の道のりであった。長谷寺まで来たので、ついでに近所の大仏さんを見て、江ノ電湘南モノレールを乗り継いで、昔住んでいた大船を経由して帰った。大船の駅も、すっかり変わっていて時の流れを感じたが、変わらぬものは、車窓から見えた大船の観音さまであった。南無観世音菩薩。


第弐拾番
『補陀洛山・那古寺』(千葉・館山)
 坂東三十三ヵ所も、千葉の二ヵ所を残すばかりとなった。成田まで出てあとは高速を飛ばせば、千葉県房総半島の先、館山市に位置する結願の寺、那古寺まで三時間ぐらいで着いてしまう。先に残していた三十番札所の高蔵寺をお参りし、ついに三十三番目の寺である那古寺へと到着する。関東に来て始めた坂東札所巡りも約一年半で結願。納経所では、朱印の確認をして、満願の印も押してくれた。そのおかげか、今年で後厄も終わり、二冊も本が出せた。うれしくもあり、ありがたいことである。さらに結願の証も販売していたがこれは買わなかった。
 夕立があり、雨がぱらついてきたので、早々に寺をきりあげて、帰りは東京湾アクアラインを通って帰ることにする。途中、海ほたるで休憩。よくまぁ、東京湾にこんなトンネルを掘ったものだ。休日だったためか、海ほたるもそこそこ混雑していた。
零153('04.1)


番外 その伍
北向観音』(長野・別所温泉

  四国八十八ヵ所のお礼参りは高野山であるが、坂東三十三ヵ所の場合は、長野は善光寺となる。ただ、善光寺だけでは片参りということで、もう一ヵ所、厄除けで有名という別所温泉にある北向観音をお参りした。
 ここが変わっているのは、さすが温泉地というか手水が温泉であるということである。湧き出す水は温かく、手水のわきに温泉の効能書きの看板まであった。


番外 その六
愛宕山・阿多古神社』(京都)
 伊勢には七度、熊野に三度、愛宕山へは月参り
 とうたわれる火の神様の総本山、愛宕山の阿多古神社に初詣をした。
戦前には愛宕山鉄道がひかれ、嵐山から清滝までは電車が、さらに山頂近くまでケーブルカーが登り、愛宕山ホテルまであったという名勝であるが、戦火の拡大とともに観光地は自粛し、鉄を供出するようにということで廃止になってしまったという。
 おかげで、いまでは右足と左足を互い違いに前へ出して、自分の足で登っていかなければならない。登山道はいくつかあるが、一番きついという表参道を上がる。いきなり急な石段が続く。途中、お助け水や、休憩所があるが、神社まで約2時間。気温も急に下がってくる。それでも、参拝者は多い。『火迺要慎』の御札(大)450円が、飛ぶように売れていく。帰りは1時間ちょっとで降りてきたが、翌朝には筋肉痛が待っていた。
零154('04.4)


第弐拾壱番
那智山青岸渡寺』(和歌山)

  西国第一番札所、那智山を訪ねる。JRで和歌山市からさらに紀伊半島を巡ること3時間。最近熊野古道世界遺産登録されたとかで、そこを平安時代の衣装を着せて歩かせて写真撮る商売もある。
 それよりも、那智大社に湧く延命長寿の水に群がる老人の団体客はすさまじい。ビニール袋に水を入れて持ち帰ろうとする者も現れ、ひとりがはじめると、われもわれもと夜店の金魚すくいのようにビニール袋に詰められた延命長寿の水が持ち帰られた。そこまでしなくても、そんな元気があればきっと長生きされることでしょう。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……

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