ブンゲイファイトクラブ4(BFC4)予選優秀作品。 https://note.com/p_and_w_books/n/n97112b0aaaf8
ノラニンジン、ヒメジョオン、ノアザミ、ナズナ、ヘラオオバコ……畑だったところに、いまは一面に草が生える。その中に、小さな鬱金香(チューリップ)の姿も見える。原種系のトルケスタニカだ。白い花弁に黄色のブロッチが入る。房咲きで花茎に複数の花が咲くが、いまでは古銭としての価値もない。花言葉は「失恋」だった。
かつてここは、高い城壁に囲まれた広大なチューリップ畑であった。それゆえ、鬱金香城塞とも呼ばれた。そして、祖父は長年ここで働いていた。
遠目に城の塔のように見える石造りの建物は、当時は銀行だった。こんな郊外にあるのは、この広い畑が必要だったからだろう。いまは博物館になっていて、チューリップ畑の耕作に使われていた蒸気トラクターや、球根の選別機、そしてかつて流通していたチューリップ柄のコインが展示されている。
わたしのチューリップに関する知識の多くは祖父から聞いたものだ。物心ついたときには、祖父はすでに庭で園芸を楽しむ静かな老人だった。そして、チューリップのことを訊けば、訥々と昔話をしてくれた。
一六三四年、和蘭(オランダ)はチューリップに白熱していた。一般市民をも巻き込んで、花に複雑な縞模様が入った変わり咲きチューリップの球根が、異常な高値で売買された。ついには、チューリップの球根たった一球が、馬車六台の麦、雌牛四頭、豚八頭、羊十二頭、ワイン二樽、麦酒四樽と交換された記録がある。破産する者も多く出たということだ。
現代の知識では、変わり咲きチューリップの多くは、ウイルス病に侵されて縞模様が入ったと推察される。それゆえ植物体は弱く、球根も増えにくく、そこに希少価値を求めた。
チューリップに惑溺するあまり、球根のやりとりしか目に入らず、取引が便利なようにとチューリップの球根も通貨として扱える法案が定められた。当初は実際に球根同士をやりとりしたようだが、それでは球根が傷つき、なにより持ち運びに不便だった。そこで、チューリップの球根と交換可能な通貨が発生した。チューリップ本位制の始まりである。通貨はギルダーからキューへと替わった。球根を数えるのに、極東では「球(キュー)」と数えることに由来するらしい。
銀行は顧客からチューリップの球根を預かり、それを増やして利息とした。また、品種によって希少度や鑑賞価値が変わるため、年に一度、キュー通貨との交換レートが園芸家によって協議された。
当初、柵で囲われただけの銀行の畑には、チューリップ盗賊団が出没した。多人数で忍び込んでチューリップ畑を掘り起こし、持ち去るのだ。柵を強固にし、警備を厳重にするが、いたちごっこの末に銀行の畑の塀はついに刑務所よりも高くなり、監視塔が設けられた。最終的にこの城塞のような石積みに囲まれたチューリップ畑が各地に誕生した。ここは、生きた通貨を預かる金庫だったのだ。
チューリップをうまく増殖し、希少な新品種を生み出すことで、チューリップ本位制のもと、銀行は繁栄していった。そのために、数多の園芸家が雇われた。祖父は、その最終世代の一人であった。
最盛期には、春に銀行主催で大々的な品評会が開催されたという。開会のファンファーレがよかったと祖父は懐かしむ。品評会当日、こんな郊外の銀行の門前にも馬車の大行列ができた。自分の「預金」を鑑賞に来るのだ。いまはもう取り壊されてしまったが、遠方からの客のために、近くの村には不釣り合いな豪華なホテルも建っていたという。
八重咲き、パーロット咲き、フリンジ咲き。色の帯のように見えるチューリップ畑で、祖父は新品種を誇らしく解説した。そして球根の太りをよくするために花を落とすと説明すると、こんなきれいな花をと反発する顧客もいたという。そういうときは、いま落とさないと球根の増殖率――つまり、利率が落ちますよと答えると、ではやってくれたまえとなるのが面白いと、祖父はクスリと笑った。そして、おみやげに落とした花の花束を渡すのが、祖父の役目だったと。また、資産運用としてのチューリップ栽培教室の講師としても、人気があったらしい。
そして二度の世界大戦も、チューリップ畑は戦場にしないという紳士協定が守られ、おかげで祖父は戦火を免れた。だが、やがて大きな歴史の分岐路に遭遇することになる。
「あの日のことは、一生忘れることはない」と、祖父は遠い目をした。
「なんてことだ、全部枯れた。何度夢に見たことか」と、この時だけは大声で嘆いた。
第二次世界大戦のあと、化学合成による除草剤が開発され、これが除草剤による通貨テロを可能にしたのだ。夜中にセスナ機が飛んで、何だろうと思っていたら、チューリップ畑に除草剤が撒かれていたという。
何者の手によるものか、世界各国の銀行の城塞畑で次々と通貨テロが起こり、これがチューリップ畑を潰滅させた。第二次世界恐慌とともに、三百年続いたチューリップ本位制は、歴史の教科書で学んだように、崩壊することになる。
その歴史に立ち会った祖父も、昨年亡くなった。お墓の周りには、祖父が開発したチューリップ品種を植えた。そして、かつて祖父がいたこの場所を訪ねたくなったのだ。
あのまま、除草剤テロもなく、チューリップ本位制が続いていたら、いまどんな世界に成っていただろう。トルケスタニカには、祖父はいい思い出がないと言っていた。もう詳しく聞く機会はないけれど、花言葉に関わることだったと、少しはにかんでいた姿を思い出す。
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