ブライアン W オールディス インタビュー

(旧HPにあったコンテンツ、ぼちぼちこちらに持って来る予定です。これは、入江敦彦によるインタビュー)


LONG TIME NO SEE THEN SF
ブライアン W オールディス インタビュー
 UNBROADCASTABLE
入江敦彦

 この零が出る頃にはもう書店にないかもしれないがエスクァイア(7月売り9月号)でちょっとSFな仕事をした。なんとオールディスへのインタビューである。オールディスはオールディスでもオリゲルドの妹ではない。英国を代表するSF作家のブライアン・W・オールディス、その人だ。
 と、いうかそれはクーブリック特集の一部なんだけど。実は二人は仲良しさんで、クーブリックは彼の作品を映画化しようとしていたという……(その辺は本誌で読んでね)。
 さて、オールディスといえば『地球の長い午後』のオールディスである。何たってイルカが一番賢いのである。『原始少年リュウ』で石森章太郎がパクるどころか、とんでもない換骨奪胎をやってのけて、そのせいでジャジャコちゃんにいわれのない謗りを受けた名作の作者である。ニューウェーブの旗手である。フランス料理界でいえばヌーベルキュイジーヌを提唱したポール・ボキューズのような人である(バラードは実践派のトロワグロだな)。それが判り難い比喩だとしたら宝塚の歴史における大地真央のような人である(で、バクスター真矢みきなワケ)。ますます訳わかんないね。ごめんなさい。
 実は『爆発星雲の伝説』『グレイベアド』『ありえざる星』くらいしか、その他に彼のSFを読んでいなかったりして、ちょっと不安だった。あ、あと、原書で『蓋然性Aの報告』と『ハルコニア』三部作を“持って”いる。須磨帰り。だって、だって、オールディスの文章って綺麗だけど難しい英語なんだよ。『十憶年の宴』は読了したけど、ま、これはノン・フィクションだしね。
 非SFならホレイショー・スタッブス・サーガは懐かしのサンリオ文庫で読んだ。感動したので『手で育てられた少年』をゆうゆに貸して怒られた。アポリネールと続けて読ませたのが悪かったのか? 今回インタビューするにあたって読み返したら当初儂が感じたほどにはショッキングでなかった。オトナになったのか鈍くなったのかは知りませんが。で、それがあまりに面白かったので、その続きとも言える『西洋での生活』シリーズを現在読んでいる最中。やっぱりコトバは難しいけど、面白い。これ翻訳されないかなあ。
 この特集には英保さんのクラーク・インタビューなんぞもあって、同じ土俵で書かせて貰えるなんて有り難いやら緊張するやら大変でした。SFから遠ざかっていたこともあるけど、SF関係者が沢山読むだろうなあ、というのが憂鬱の種。SF人口は減少の一途を辿っているようですが、それだけにウルサイ人も多いし(実はそのウルサさが嫌でSFから離れた傾向が無きにしも非ず……藤田のように超然としていない、というか普通以上に人目が気になる自意識過剰ゆえ)。零だって、どこで誰が読んでいるか分からない怖さはありますが、相手は発行部数が少ないとはいえ一応一般誌ですから。 しかし、永いことご無沙汰していたSFというものに、今現在の(書き手としての)自分の立場からこうやって触れるってのは、感慨があります。思わず“復讐”なんて言葉が浮かんだりしてね。その昔SFのコンベンションなんぞに出掛ける度に儂はとても寂しい思いをしたものでした。疎外感つーの? 「なーにを、この人達は言っているのだろう」と感じてた。本当にあの頃、皆何を喋っているのか分かってたのか? 楽しかったのか?高座の人も、聴いてる人も。フロイトの暗い深層心理をエーリヒ・フロムが読み取ったように、とは申しませんが、儂は彼等の発言や反応の裏に奇妙で卑屈な選民意識とインフェリオリティズムからくる攻撃性をみつけずにはおれませんでした。怖かった。儂は仲間じゃなかったからな。儂だってSF好きでそこそこ読んでいたはずなのに、書いて(書かんとして)すらいたのに、どうして仲間じゃなかったんだろう。ペダンティックなものに対してカッコイーと尊敬しなかったからか?分からないのは分かるように話せないからじゃないか、実は彼等も分かっていないんじゃないか、と疑っていたからか?そこんとこ、どうなんでしょう?ペダンティックなものがいけないとは言わない。儂も手段として用いることはママある。でも、全部が全部じゃなあ。SFは元祖オタクだと言われます。オタクは現在、儂には理解の範疇外である“ヤオイ”の世界にあります。だとしたらあれはやっぱり一種のヤオイだったのかも。ノーミソがノーミソにツッコンでいたのね。「どうして、みんな怖がるんだ? ただの恋愛なのに!」って『ゲット・リアル』のスティーヴンは叫んでいたけど、ヤオイじゃあ仕方ない。季が違っているが仕方ないって感じだ。
 まあ前置きはこの位にしてエスクァイアに書かなかったことなどを少し。
 突然に牧さんに連絡を取って(どーも、お世話になりました)オールディスのエージェンシーを聞きコンタクト。「あれよ」で快諾をいただき呆気ないくらい簡単にインタビューは実現しました。この手の仕事は慣れっことはいえ、これだけスムースに事が運ぶのも珍しい。こういう場合は経験からいってうまくいく。と、気を良くして出向いたオックスフォード郊外のオールディス氏のおうち。
 一年のうちで最も英国が美しい季節。麗らかな麗らかな陽射しが招く広い広い彼の庭。ガーデンパラソルの下でパブテーブルに差し向かい、インタビューは始まった。風に漂う甘い香りの理由を訊くとオールディスは「パイナップル・ツリーの花の匂いだろう」といって席を立つと一枝手折って持ってきてくれた。コーヒーの芳ばしい湯気に混じってエキゾティックな黄色い花房は眠たげなソネットを歌う。簡単な自己紹介が終わって、儂らが、まず話し始めたのはSFについてだった。SFっていいよねーという認識だった。オールディス翁は言う。
「僕は自分をSF作家だとは思っていないけれど、自分がSF出身の作家だとは思っている。だから人にSF作家と呼ばれても構わない。SF作家の中にはそう呼ばれることを極端に嫌う人がいるけれど(ヴォネガットJrとかね)僕はそうじゃない。SFには恩がある、というか愛着があるんだな。今でこそSF以外にも小説を含めいろんなタイプの文章を書くけれど確かに僕の第一歩はSFだった。だいたいさあ、パブリックスクールから直接軍隊に入って、しかもアジアの密林に放り込まれ、戦争が終わって就いた仕事が本屋の店員だぜ。SF以外に何が書けるってんだ」
 まあ、確かに『地球の長い午後』は広範な植物学の知識によって描かれたとゆーよりは未開のジャングルでイマジネーションを触発されて出来た話だと聞くほうが納得はいくが。 トントン拍子で人気SF作家になった翁。アメリカに渡ったことといい、かなり計画的に“売れる”作品を作り、事を進め、自分を売り出し、それに成功したといえる。そのあたりについて、自伝的要素の強い『手で育て‥‥』の主人公スタブスの台詞を借りてこんなふうに言っている。「僕は頭の悪い人間だ。だから賢い者のように自分の限界がわからない。従って諦めることをしない。僕は頭の悪い人間独特の頑固さで以ってやろうと決めたことをシブトクやり遂げるまで続けるだけだった」と。けれど高い評価とステイタスを手に入れながらも翁はアメリカに住もうと思ったことは一度たりともなかったらしい。
「だって、僕はアメリカ嫌いだもん!」
 おお!
アメリカは厭だね。アメリカ人は駄目だね。住むなんて冗談じゃない。いつだってアメリカの空港に降り立った瞬間に僕は英国に帰りたくなるんだ。もちろん個人的には好きな人達もたくさんいる。僕が大親友と呼べる人間の殆どはアメリカ人だ。問題なのはAmericanという総称になったときさ。嫌いな理由は星の数だけど、根本的には一つといえる。それはね、彼らは何事に関しても答えが一つだと思っていることだろうね。そして彼らは許すことを知らない。自分達の価値観を人に押し付け、アメリカの正義が世界の正義だと確信は動くことがない。その根拠は曖昧であっても膨大な資料に裏づけされていようとも結論であるところの[feeling of the US right,US correct]は揺るぎ無い。彼らは自分を笑うことも出来ない。アメリカ人の感覚は十字軍の時代のヨーロッパ人から少しも進歩していない。やってることはコルテス、ピサロと同じ。まったく世界の警察が聞いて呆れるよね。あいつらは世界の異端審問官だよ。そのものだよ」
 インタビューはのっけから(悪口で)盛り上がった。アンチアメリカに関しては儂も負けてはいない。まあ、まさかこのインタビュー、この段階では30分の予定が2時間に延びるとは思っていなかったが。とまれ、今までにも“アメリカ嫌いネタ”はしょっちゅうだった。英国人の定番アイテムではある。が、ここまで激しい拒絶感は初めてだったかもしれない。翁はこう締め括った。
「結局、幸せなんて人それぞれじゃないか。アメリカ人の幸せの基準からすれば僕はちっとも幸せな人間ではなくなってしまうけど、僕は僕の人生を自分自身で選んできたし、今とても幸せだ。何故不幸だと決め付けられなきゃならない。幸せの形がたった一つしかない国、それが不幸なアメリカという場所だ」
 ペットヘイト(ペット、つまり飼ってるヘイト=嫌いなモノのことね。いつも、ずっと心の中で「ヤだなあ」「ムカつくなあ」と思っているモノ。それがマジョリティの支持を受けてたりすると嫌悪を表明しにくくなって、更に腹が立つ)が共通すると仲が良くなりやすい。インタビューは本筋のクーブリックからずれて、どんどんそっちの手のなる方へとゆくのであった。悪口の水は甘い。英国では行動に移さない限り何を言ってもいい。悪口も言い放題。只、説得力がなければ誰も耳を貸してくれないが。日本でいうところの一般常識なんて何の抑制力もない。「人の道に外れてるわ」なんて言種は通用しないどころか軽蔑の対象だ。大切なのは“自分の道”がちゃんと見えているか、その道をしっかり歩いているか、ということなのだ。
 さて、雑談化しつつある二人の会話はさらにヤバイ。話ながら「コリャ面白いけどエスクァイアには書けねーな」と我ながら思っていた。テーマは『スターウォーズ批判』である。オールディス斯く語りき。
「SWにはいろいろ問題が多いけど、その最たる存在が“フォース”ってやつ。さっきの話にも繋がるけど、あれはアメリカ的な欺瞞そのものを象徴するアイデアだと思う。あの映画の核となるアイデアだけにより悲惨だ。恐ろしいよ。僕は。なんだって“正しい心を持った人間が使えば正しくフォースは働き、悪人が持つと危険な武器となりえる”んだって?いやーアメリカ人。馬鹿だ馬鹿だと思っていたがフォースなんてアイデア喝采を送るような人種じゃ先が思いやられるよね。大して長い先があるとは思えないけどさ。だってさ。このイヤラシイ言い訳じみた言葉ってさ、どっかで聴いたことがあるだろう?そうさ、この台詞はアメリカが、アメリカ人の大半が“ある問題”について指摘されるたび、いつだって口にする理屈なんだよ。気がつかない?“フォース”を“拳銃”に置き換えてごらん。そうだろう。このお粗末な理論とも呼べない理屈に縋り付いてあの国は決して銃を規制しようとはしない。問題の根本はそんなところにはありはしないと深層心理で知っていながら、彼らは平気で人殺しの武器を持ち歩く。笑わせるね。正しい心だってさ。道具は道具。武器は武器。フォースはフォース。只の道具、武器だよ。それ以外の何物でもありゃしない。思い出してごらんよ、あの映画の中で武器として以外にフォースが使われることなんてないじゃないか。フォースはそのままイコールでライト・セイバーじゃないか。アメリカ人にはまあ正しい心でこれからも人殺しを、殺戮を続けていってもらいたいもんだね。出来れば身内同士でね」
 こうして書くてゆくとかなりヒステリックに聞こえるかもしれないが、翁の口調は淡々としたものだ。冗談めかした色合いは英国人独特のサーカスティックな態度の表れだ。
「だが、ルーカスが狡猾だった。彼はフォースなるアメリカ人好みの人工甘味料的アイデアに、さらに毒々しい色づけを施した。そしてそれこそが映画メガヒットの秘訣となったといえるだろう。彼が着色したのはかつてのアメリカ的なヴィヴィッドカラーを避けて、あたかも健康食品にも似たナチュラルトーンだったんだ。東洋思想、いや、思想じゃないな、東洋趣味ってやつさ。コスチュームも含め、彼はオリエンタルな記号をフォースの周りにちりばめた。西洋=肉体。東洋=精神という陳腐なクリシェにまんまと観客は引っかかった。このトリックでルーカスは人殺しの道具に他ならないフォースの実態を隠し、心の問題へのすり替えに成功したんだ。それは教育ではなくZENであり、訓練ではなく修行だった。主人公の努力は描かれるが、それらはアメリカ人の記憶に見当たらない、追体験が出来るものでもない。つまりは観客に努力の気分だけを味わってもらうための座興に過ぎない。おまけにそれらはヒューマノイドタイプの教官ではなく、導師であるヨーダによってなされるのだ。SWのヒットはアメリカ人の精神がどれだけ脆弱になっているかという証拠でもあるね。彼らはフィクションの中でさえ辛さをリアルに味わいたくないんだよ」
 だいたいルーカスとオールディス、そして実はクーブリックの間には確執がある。クーブリックが突然の死を遂げて中座してしまったが、二人はルーカスを訴えて(正確にはかの監督が起訴し、翁は彼のサイド側だったというべきだが)いたのだ。容疑は盗作。それも他ならぬSWのストーリーが嫌疑対象である。『時計仕掛けのオレンジ』が撮り終わった当時、仲の良かった二人は共同で映画のシナリオを作り始めていた。
「早い話がヒロイックファンタジーをやろうとしていたんだ。囚われのお姫様を主人公が様々な苦難の末に救い出すという通俗的な話を、ただしクーブリック流にね。ホラーを撮れば『シャイニング』に、歴史モノなら『バリーリンドン』になる彼のスタイルが、アメージングストーリー的世界に出会ったらどんなものが出来るか、考えただけでも楽しそうだろ。そういった、ある意味で硬直した、既存の枠が厳然と存在するものにぶつかったときにこそクーブリックは俄然、力を発揮する監督だったからね」
 で、その頃『2001‥‥』に心酔した数多くの若手映画監督の一人としてルーカスはクーブリックのスタジオに入り浸っていたという。「当然のように僕達は彼に次回作の構想を話した。ライバルとしてではなく映画好きの仲間と信じてね。だからSWが製作にかかって、その噂が流れてきたとき僕らは耳を疑った。およそ相似形の物語だったからね。むろん僕はフォースなんて子供だましのアメリカン・センチメンタリズムを導入するつもりも思いつきもしなかったけれど‥。クーブリックはそういったことを見過ごせる男じゃなかった。すぐさま彼は訴えでて、僕もハリウッドの裁判所に証人として立った。だが、盗ったにせよ盗らないにせよ実証は難しくてね、とにかく裁判は長引いた。だいたいベースとなるストーリーは、只それだけで見る分には凡百の物語に過ぎない。それをクーブリックが描くからこそ名作になり得る可能性を秘めていたわけだから。そりゃあ決着がつかないままこんな形で幕になったのは残念だけど、そいつを引き継ぐような根性も精神力も僕は持ち合わせていなかったし、また僕らもすぐさま違った新しい話を創り始めていたし。裁判より映画作りのほうが楽しいに決まってるし、ま、最終的には僕とクーブリックの関係もスムーズとは言い難いものになっていたしでね」
 二人の決別の引導を渡したのがその“違った新しい話”だったのは皮肉としか言いようがない。即ち、未完に終わった『AI』である。内容についてはエスクァイアに詳しいが、産児制限を余儀なくされた未来社会を舞台に自分がアンドロイドであることを知らない少年と、人間の母親の関係を描いた水彩画のような短編がオリジナル・ベースド・ストーリーとなっている。こちらのほうがオールディスらしいといえば、ずっと“らしい”。
「彼との仕事が大変なのはもう周知だった、覚悟もしていた。戦いになることも分かっていた。どれほど苦労の多い骨折りと心労の連続であったかは僕の前に共同脚本を仕上げたクラークからよくよく聞かされていた。しかしその結実があの『2001‥』だ。クーブリックとの仕事には、それだけの価値があると信じていたし、信じられた。あのさ、クラークの作品は外向きでしょ?世界が外に向かって広がってる。僕の作品は世界は内に向かってどんどんメルトダウンしていくタイプ。正反対といっていいくらいだ。どちらかというと間違いなくクーブリックは僕と同じ内向型。どっちが大変かといったら絶対に僕だろうね。気が合うのと、仕事がしやすいのとは別問題だからね。クラークと僕は別の種類の懊悩を経験した筈だよ。とにもかくにも、どんなハードワークよりも彼と一緒に仕事が出来る魅力の方がずっと大きかった。僕は心から彼を尊敬していた。しかし、しかしだ、あくまで対等の人間としての尊敬だ。僕はボスは要らない。親も教師も僕にとってはボスではなかった。僕は僕の人生を僕の力で歩く。何があってもそれだけは変わらない。映画が完成しなかったのはともかく、二人の友情が終わったのは、だからだ」
 まあまあまあまあ、そんな感じでたっぷり会話を楽しませてもらって、結構な時間ではございました。オールディス、いいひとだ。かつて彼は「ノーティー・ブライアン」と呼ばれていたそうだけど、あれですな、人間年齢じゃない。自分は自分なんだ。そんな当たり前のことを考えながら家路についた儂であった。最後に雑誌のほうでスペースがなくて短くされちゃった彼のプロフィールを勿体無いから載せときます。


Brian W. Aldiss
1925年、英国東部ノーフォーク生まれ。パブリック・スクールを卒業後、43年イギリス通信隊入隊。5年の兵役を経て帰国、書店勤務の傍ら51年作家デビュー。58年の最優秀新人賞に続き61年『地球の長い午後』(ハヤカワ文庫刊)にてヒューゴー賞受賞。SF以外にも作品は多岐に亘り、特に70年、71年に発表された破天荒な“自伝的”純文学『手で育てられた少年』『兵士は立てり』は英国で大ブレイク。フラワーチルドレンのバイブルとなる。英国作家協会、王立文学協会の会長を歴任。その他、代表作はアンソニー・バージェス絶賛の『Life in the West』四部作、SF評論集『十億年の宴』、架空の惑星史『HELLICONIA』シリーズなど多数。98年には亡妻の闘病生活を描いた『When the Feast is Finished』がベストセラー。人々の感動を呼んだ。
入江敦彦 Athico Ilye(いりえ・あつひこ)
1961年、京都生まれ。藤田雅矢と同じ小中学校に通う。京都市西陣、髪結いの長男に生まれ機の音に囲まれて育つ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。1991年渡英、ロンドン在住。エッセイスト。主な著書として、『京都人だけが知っている』シリーズをはじめ、『イケズの構造』『秘密の京都』『イケズ花咲く古典文学』『ゼロ円で愉しむ極上の京都』など多数。最近は、異形コレクション光文社文庫)で小説も手がける。

零138('99.9)に加筆
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