熊本城まで、今回は肥後菊展を見に行った。肥後菊は、藩主細川重賢が藩民の精神教育と品性の向上のため栽培を推奨したことに始まるという。
肥後朝顔は鉢植えであったが、肥後菊は地植えの花壇である。しかも、花壇を床の間に見立てて装飾するらしい。
そのため、しきたりも厳しく、管弁が陽花、平弁が陰花、さらに株に芯の一本立ちが陽、二本立ちを陰とし、草丈から前菊、中菊、後菊、また紅、白、黄の三色を、陰陽陰陽となるように配置するらしい。さらに一株の花の位置によって、仁義礼知信の定めがあり、春夏秋冬のそれぞれに周到な注意を持って管理し、整然とした配列と草姿、清楚な花容があいまって秩序ある花壇としてしつらえる。一株ずつではなく、花壇そのものが作品なのだ。
この花壇作りは栽培者自らが鍛錬する場であり、栽培者の品性そのままが花壇全体に反映するということなので、ホントにこころしてかからねばならないようだ。
「波返し」
「紅不動」